弊社がある明神町は、かつて東深津町と呼ばれておりました。

深津の地は、奈良時代に都ができ、府中に国府が置かれたころから、港町として栄え、古い歴史をもっています。万葉集には、この深津の地で詠まれた歌があります。

 路後 深津島山 暫 君目不見 苦有
 (ミチノ シリ フカツ シマヤマ シマシクモ キミガ メ ミネバ クルシカリケリ)

万葉仮名で詠まれたこの歌の意味はなんでしょうか?
「ふかつ訪訪」(深津学区ふれあい事業推進委員会 平成17年)によれば、以下の解釈となるようです。

 

「路後」とは、備前、備中と京よりはるばると、路のしりえにあたる備後という意味。

「深津島山」は、深く入り込んでいる津。

京からはるばると備後国に舟路をたどり、深津湾をかこむように半島状 深津 島山、これは現在の深津高地。

深津高地とは、現在の福山暁の星女子中学校、高等学校、近畿中国四国農業研究センター本所がある丘を指します。
かつては、その深津高地から王子町にかけてが「深津島」と呼ばれる島であり、港もあったと思われます。


深津は1933年1月1日まで、深安郡深津村でありました。福山市に編入されたのち、深津町は、1965年9月1日福山市中心部への住居表示実施により消滅し、福山市宝町の一部となりましたが、福山市東深津町はその後も町名変更せずに存続しています。

 

その深津高地に住んでおられる君よ、「暫(しましくも)」 少しの間も君の目をみていないと、お会いしないと、切なくてと、恋しい苦しい胸の内を歌に託した相聞歌だそうです。